ホーム > 論文・解説・会報 > 解説3(川村康之)

解 説

3.『日本の軍事制度と軍事思想に対するクラウゼヴィッツの影響』

2 冷戦後

 冷戦間、多くの戦争や紛争が世界中で生起したが、東西の対立が熱戦に転化することはなかった。ワシントンとモスクワの両政府が、対立が統制できなくなり、米国とソ連の直接対決に至ることを防止したいと望んだからである。このような状況は、1989/90年におけるベルリンの壁の崩壊によって、思いがけず突然終結した。宗教的な熱狂、長い間抑えつけられてきた民族的な対立や解決の見通しの立たない国境紛争によって、新たに暴力と戦争が噴出している。その結果、これまで想像できなかった規模で国連の平和維持活動が増加した。

 このような変化は、1990年の湾岸戦争と同時に起こった。湾岸戦争においては、国連の権限委任を受けた多国籍軍がサダム・フセインによるクウェートの併合に対して原状回復のための作戦を行うこととなった。日本は、その平和主義的な政策の故に、単純にこの作戦に参加することができなかった。そして、130億ドルの巨額の資金を多国籍軍の作戦のために支出したにもかかわらず、国際社会の非難を浴びた。

 このことから、日本政府は、海上自衛隊の機雷掃海部隊を湾岸戦争後のペルシャ湾に送った。これは、自衛隊の初めての海外任務であった。それ以来、自衛隊の兵士は、新たに政府が制定した国連の平和維持活動法に基づいて、カンボジア、ルアンダ、東チモールあるいはゴラン高原における国連のPKOのような多数の作戦に参加している。また、9.11事件の後、日本政府は、インド洋やイラクに自衛隊の要員を派遣するために、新たな法律を制定した。すなわち、テロ対策特別措置法やイラク人道復興支援特別措置法などである。

 このような安全保障環境における重要な変化に対応するために、日本政府は、防衛庁を防衛省に昇格させるという改革を今年、2007年に実行した。これと同時に、国際平和を維持するための多くの作戦は、従来の二義的な任務から、国土の防衛と並ぶ主要な任務に格上げされることになった。つまり、以下のような日本を含む国際社会の平和と安全に貢献する国際災害救援活動、国際平和協力活動、テロ対策特別措置法やイラク人道復興支援特別措置法に基づく活動は、主要任務として遂行されるのである。

-----------------------------------------------------------

-----------------------------------------------------------

このページの先頭に戻る

更新日:2007/12/06

Copyright (C) 2006. Clausewitz Society of Japan All rights reserved.