ホーム > 論文・解説・会報 > 解説3(川村康之)

解 説

3.『日本の軍事制度と軍事思想に対するクラウゼヴィッツの影響』

2 クラウゼヴィッツと日露戦争

 これまでにみた通り、陸軍は、クラウゼヴィッツの思想を、大モルトケ時代のドイツ陸軍を経由して間接的に学んだのであるが、彼の著書から直接学ぶ努力がまったくなかったわけではない。そして、その開始時期は意外と思えるほど早い。

 1899年、森鴎外(後の軍医中将、著名な作家)は、早川大尉(後の中将、日露戦争時の参謀副長)に対して、『戦争論』の一部に関する週二回の講義をベルリンで行っている。そして『戦争論』の全巻が完訳され、軍部内に刊行されたのは1903年であり、まさに日露戦争勃発の前年のことであった。この訳本の第一、二篇はドイツ原本から森の手により、またその他の篇はフランスの訳本により陸軍士官学校が担当して重訳し、これらを『大戦学理』と題して一巻にまとめた。この書は、その後版を重ね、1934年まで続いた。

日露戦争の勝利に関しては、いくつかの重要な要因が挙げられている。その第一は、当時戦争指導に携わった人々が、よく戦争の性格、本質を正しく捉えて政治と軍事の調整に見事に成功したことであり、第二は、満州の主作戦において作戦指導を担当した人々が、敵野戦軍の撃滅を意図して決勝会戦を敢行し、大戦果をもたらしたことである。

この中で、第一の戦争全般の指導は、日本の伝統的な兵学と明治維新の経験により多くを依存する。第二の戦場における作戦については、クラウゼヴィッツおよびドイツの理論に負うところがきわめて多い。

日露戦争における日本陸軍とクラウゼヴィッツとの関係に触れた挿話の数は少なくない。その中で、次のような言葉だけを紹介しよう。

ドイツのデュムラー出版は、日露戦争中の遼陽の会戦(1904年8月25日〜9月3日)における右翼の突進を成功させた第一軍の黒木大将に対して、出版されたばかりの『戦争論』第5版を贈呈した。その礼状の中で、黒木大将は、「この書はすでに日本語に訳されており、広く読まれている。そして、今戦役においても大きな貢献を果たした。というのは、われわれ将校は、その専門知識をすべてドイツから学んだからである」と述べている。

-----------------------------------------------------------

-----------------------------------------------------------

このページの先頭に戻る

更新日:2007/12/06

Copyright (C) 2006. Clausewitz Society of Japan All rights reserved.